散歩とウォーキング 

最近、「毎日歩く」を目標にしています。
こどもたちが小さい頃は、幼稚園(お昼ごはんは家で食べるので1日4往復!)や学校への送り迎えなどで、毎日10,000歩を軽く超える生活をしていましたが、ここ数年は用事がなければ外に出ない日もあったり…

最近できた年上の友人からの「今からが大事よ!」という助言もあって、こまめに歩いてみよう、と思ったわけです。

夕飯の食材がちょっと足りない、というときに自転車を使わずに歩いて行く、という程度でも「歩いた」にしちゃうので、まだまだ甘いんですけどね。

よく行くところは、墓地。ここから約1kmとちょうどよい距離なのと、お墓の通路の砂まじりの土が昔通った小学校の土によく似ていて懐かしいこと、どのお墓もきちんと手が入れられていてちょっとした花壇のようであることなど、なんとなく足が向きます。
こちらのひとは(代々、地元に住む人が多そうな地域ということもあり)よくお墓参りをしているようで、いつも掃除したり、花を植え替えたりしているひとに会います。
なかなか日本の先祖のお墓参りにはいけないのですが、ここへ来るとちょっと近づけるというか、近況報告ぐらいは届くのではないか、という気もしています。
…今日はお墓の話ではないので、このへんでやめときます。

さて、このあいだ、出かける時に「散歩に行ってきます」と言って、ふと「ウォーキングか」と、言い直しました。
で、歩いている間にあれこれ考えたのですが、私は「ウォーキング」よりも断然、「散歩」に惹かれるのです。

いちおう、健康のためという目的があり、姿勢を意識して、通常歩くペースよりもアップテンポで歩いているので、まさしく「ウォーキング」と呼ぶにふさわしいんですが、なんかこう違和感が。
「散歩」は、俄然、親近感がわくというか、しっくりくるような。
一歩つっこんで言うと、はっきりとした目的がない、一見、無駄な行為というのが、すごく豊かに思えるんです。

情報過多な(ネットを開ければ情報が氾濫してますからね)時代、ともすると、しなくてもいい取捨選択を迫られ、知らず知らずのうちに自分で自分を縛ってしまったり、ということがあったりね。

そんな今こそ、特に目的はなく、別に何も得なくてもいい、という気楽な「散歩」が必要なんじゃないかな。
(というほど、厳しい日常を送っているわけではない私が言っても全く説得力がないわけですが)

そこから掬いとる何かがとっても大事かもしれない、と、漠然と思うのでありました。

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[ 2013/11/05 15:03 ] いろいろ | TB(0) | CM(0)

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