最後に会う時 

先週は、訃報が重なりました。
父方の大叔父、そして家族同様にお付き合いさせていただいている知人家のおばあさま。
いかんせん距離があるので、実家からの話を聞き、遠くからご冥福を祈るばかりです。


相変わらず雨続きの冬ですが、週末は太陽ものぞき、兼ねてからの懸案だった庭と道路の境の柵の交換を決行。
これまで、杭と板にヤスリをかけ、ニスを三度塗りするところまでは進んでいたのですが、そのまま頓挫していたのです。
ふぇとぺいが中心となって、るーやおーちも手伝っていました。

と、お昼過ぎ頃、さらに思いがけない訃報が。
斜向かいの家のおじいさんが亡くなったというのです。
わが家の全員が、心底ビックリしました。午前中は私たちが作業をしている前を何度も通っていたからです。
日頃から、一日の大半を散歩で過ごしていたおじいさん、ここからすぐのバス通りで心筋梗塞で倒れ、救急車は間に合わなかったそうです。

以前に脳梗塞を患ったらしく、右半身が不自由なようでした。
健康のためなのでしょうか、朝も昼も夜も近所を歩いていました。挨拶をしても、反応してくれることは稀で、ごくたまに「ぬっ」という感じで会釈をしてくれる程度。

ところがその日は、ふぇが挨拶すると軽く会釈を返してくれました。
聞けば、昨秋には学校帰りのるーに「帽子かわいいね」(日本で買ったネルの帽子)と声をかけてくれたそうです。
こどもたちはしょっちゅう「タバコ持ってない?」と聞かれたとか。(るーやおーちにも…)
そういえば、私たちが引っ越ししてきたときもフランスから来た引っ越しトラックの運転手さんに「タバコない?」と聞いていましたっけ。
お医者さまや家族にはきつく止められていたのかもしれませんね。

正直、挨拶しても無視され続けるのは気が滅入るもので、なるべく会わないように、おじいさんが家に入るのを見届けてから出かけたこともありました。(ほとんど外にいるので、私が出かけるときはどこかで会ってしまう…)

でも、結局、私にとっては一番身近なドイツ人だったおじいさん。
もう会うことがないのだと思うと、じわっと寂しいものがあります。



最後に会ったのはいつだろう…誰かが亡くなると、ふとそう考えることがあります。
思い出せることもあるし、思い出せないことある。でも、大方の場合は、その時に「これが最後だ」とは認識していませんね。
私が、これが生きているうちに会える最後だとわかっていたのは、容態が悪いと連絡を受けて帰国して見舞った、祖父母だけです。これが最後だとわかること、それはそれは、つらいものです。

すべての人との最後に会う時が、みなわかっていたら、人生はつらすぎます。
自分の一生だって、どこで終わりを迎えるかは誰にもわかりません。
だからこそ、一期一会、一日一日を丁寧に大事に過ごしたいものです。実際は、日常のいろいろにかまけて、手から水がこぼれるようにずるずると過ぎていってしまうのですが、心のどこかにとめておきたいことのひとつです。

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[ 2014/01/21 11:01 ] いろいろ | TB(0) | CM(2)

遠いとつらいときがありますね。娘の旦那さんのお父さんも軽い脳梗塞で入院されたりしたので息子である旦那さんは心配だったろうなって思いました。幸い短期間の入院で薬投与でよくなったようですが。

いつも見かけていた人が急に亡くなられたりすると寂しいですね。
[ 2014/01/21 13:49 ] [ 編集 ]

v-22 kuishinbouさん
その日のうちには着けないですからね〜。
でもここからだとフランクフルトの空港から直行便があるので、直行便のないリヨン在住の時よりは近くなったような気がしています。
[ 2014/01/22 08:33 ] [ 編集 ]

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