最近、こんなニュースを見ました。
「1」がつかない!? 公立中で通信簿の“インフレ”
公立中学校の通信簿の5段階評価で、学校や地域の差が依然としてある。「相対評価」から「絶対評価」に変わり7年目を迎えるが、成績のインフレ傾向が目立ち、生徒の9割に「5」をつけるケースも。高校入試での不公平感を解消しようと千葉県や熊本県は独自の内申補正制度を導入。新しい学習指導要領実施を控え、文部科学省は絶対評価制度の簡素化を念頭に、中央教育審議会で見直しを検討する。
5月6日産經新聞実は私、
絶対評価のほうがいいよな、と考える一人でした。
が!こんな問題になっているんですね〜。
まあ、運動会でも
みんな手をつないでゴールなんてケースもあると聞いてますから、わからないでもないですけどね。
しかも学校や地域ごとに格差があるというのは
不公平感ありありですよね。
子どもたちが
「成績」というものや、もしかしたら
勉強することそのものに不信感を持ってしまうことも考えられます。
でも、本来、学校に行って勉強できるというのはとってもありがたいことなんですよね。
勉強する意味も
「いい学校に行くため」「将来のため」が一人歩きしがちのような。
もちろん、それはOKだと思いますよ。でも、それが
個人的な利益止まりになってしまう人がいるとしたら、それはどうかと思うんです。
いい学校に行って、勉強して、経験を積んで…
それが誰かのため社会のためになる、というところまで視野を広め、深めたらどうかと。
勉強することは、今までの先人(?)の見出したことを受け継くことで、大人になったら今度はそれを伝えていくことだという意識が少しでもないと、
「自分は何のために勉強しているのだ?」と思う時が、遅かれ早かれ来ると思うんです。
注)すみません。ここまで話を進めておいて…なんですが、うちの子どもたちのことは、この場ではちょっとおいておきます。私の学童時代にも蓋をしておきます。(笑)で、こういう歪みのようなものがなぜ起こるのか、と考えると、やはりどうしても「大学入試制度」と「かさむ学費」に行き着いてしまいます。
大学合格=とりあえずゴール、みたいな。
例えば、このあたり
(ヨーロッパの何カ国か)のシステムですが、まず、大学入学資格は
高校修了テスト(国によって違いがありますが)に合格することです。
学部によって定員もあり、選抜が行われることもありますけどね。
そして、さらに魅力的なのが
学費。
最近、財政難を受けて
授業料を徴収するところが増えてきましたが、それでも公立の場合、
年間約10〜30万円というあたりじゃないかと思います。(それまでは
無料だった!)
*ドイツの大学制度について詳しいページはこちら(たぶん正しい情報だと思いますが)が!こちらの大学は、入学してからが大変です。つまり、卒業するのは(見ていると)日本の大学より大変そうです。
何年もかかって卒業する学生もたくさんいるし、在学には期限がありますから、結局卒業できないという学生も出てくるわけです。
もちろん、ヨーロッパのやり方がいいのだ、とは言いません。(実際、地域格差など問題はあるようですし)
日本もいろいろな条件を顧み、試行錯誤の上、今のような制度に落ち着いたという経緯もあるでしょう。
今さら変えるのも、たぶん無理でしょう。
でも!
「子どもや家庭について考えるのは緊急課題だ」などといいつつ、
ほとんどこういう話題が上ってこないというのも、なんか
不自然に思えるんです。
政治家のみなさん、マスコミのみなさん、取り上げられない理由が?!
経済的に困難な子どもたちのために無利子で塾の費用を借りられるようにするのもいいですけど、それこそ「自分の、またはそれにかかわるある方面の利権」にとらわれることなく、知恵を絞っていただきたいものです。
以上、今日はちょっと辛口でしたね〜。
とはいえ、やはり日本の教育水準は高いと思うし、実際に教育に従事されている方々の並々ならぬ努力で支えられているのだと思いますよ。
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日本でいう「絶対評価」は、真の絶対評価ではないとどこかで読みました。絶対評価というのは、ある一定の絶対的基準をクリアしているかどうかで成績をつけるもので、全員が満たしていれば全員5、それに対し相対評価は全体の上位何パーセントに5をあげるのが本来の考え方らしいです。
でも、今の日本の絶対評価は一定の基準がなく、個人がその子なりに頑張っていれば5ということみたいで、各人の頑張りを評価することはいいんですけれども、達成基準が曖昧になっているのかなあ。
私も日本とドイツの教育制度、一長一短だと思うんですが、やっぱりあの受験制度はなんとかならないかなと........ 学校教育をいろいろいじっても、受験が変わらないのであればどうしようもないですよね。
「勝ち組」「負け組」という言葉も、自分が勝てばそれでいいという考え方を反映しているようでどうも嫌です。もっと子ども達が世の中に希望を持って、社会に貢献したいと思えるように、私たち大人も未来に希望を持って生きて行くべきなのでしょうね。
そう思って頑張ります(笑)
日本でそんな問題が出ているとは知りませんでした。相対評価はクラス全体のレベルに左右されますから不公平ですし、絶対評価も評価基準がはっきりしていないと難しいですね。私は教員をしていたとき、いつも成績には悩みました。公正に評価したいですが、同時に努力している子にはいい点をつけたい、という気持ちもありました。ところが頑張っているのに点数が伸びない子や、さほど努力していないのにそこそこいい点を取る子がいるんですよ。永遠に答えは出ない問題のような気もしますが、確かに、成績に不信感が募るようなつけ方は良くないですね。
日本の教育問題のニュースなどを読んでいると、何かというと制度が悪い、今の学校教育が歪んでいる、に始まり、偏差値偏重、受験地獄などの言葉も使われていました。(今も使われているのでしょうか。)でも思うに欠点のない制度なんてないし、集団で教育しているわけですから、個性の重視には限度があります。学校教育に完璧さを求めすぎではないでしょうか。全体がよければどこかにしわ寄せが出ても仕方がなく、それよりも教育の機会が均等である(少なくとも昔よりは。)ことが重要なのではないのでしょうか。集団で教育し、試験で優劣を付けるとなると、どこかに基準を設けて切り捨てたり、基準に照らし合わせて順位をつけたりすることはやむを得ない気もします。公平、平等と言いますが、機会は平等でも人間の能力って平等じゃないですから、学校の勉強や試験が苦手な子もあって当然です。学校間格差を失くすことを重視しすぎるあまり、全体のレベルが下がった(みんな均等に低レベルになり格差はなくなった。)という話を聞いたこともあります。
親としては、点数や順位を気にするのではなく本当に勉強しているのか、を見ていきたいですし、いい学校へ入るとか有名企業に入るとかは人生を生きる上で、本質的な目標ではないですよね。表面的な価値観ではなく、子ども自身の生き方などを、子供と一緒に考えて行きたいと思います。言うは安し、ですけどね。

ビアンカさん
評価の基準って、難しいですよね。どこを見て評価するかもポイントになってくるし。
「達成されれば5」もある意味正しくはあるわけで。
勝ち組、負け組というのも、どうもわからない感覚です。
実際、真面目にそんなこと考える人っているのかわかりませんが、あまりばらまいてほしくない言葉ですよね。

まゆのさん
私も完璧な制度なんてないと思います。
「平等」を偏って捉えると大変なことになりますよね。
そして、学力を伸ばす方法として塾などに頼る反面、学校への要求は登下校中の問題からいじめの問題まで、多岐にわたります。
「家庭ですること」と「学校ですること」が曖昧になっているというか、先生たちにもうちょっと本業に打ち込める環境を!と思ったりもします。
子供が就学するまで、「もっとノビノビと!勉強は楽しく!」なんて思っていたのに、現実は息子の宿題にイライラしています(汗)
私は日本の受験を経験して、当時は何も疑問を持ちませんでした。
自分の中にも行きたい学校・目標があったので、それなりに<頑張る>っていう事をしてきました。
人を蹴落とすとかじゃなく、自分を向上する為の<順位>はある程度必要かなと思います。
クラスで1番になることだけに、集中して欲しくないです。
知ること、学ぶことを楽しんで欲しいと思います。
(と言いながらも、怒って勉強を教えたりもして反省)
皆一緒じゃないから、差があっても良いと思う。
その差の受け取り方が問題なのかなぁ?
よく分からないわぁ〜。

satominaさん
不当な差別とかはもちろんただしていくのは当然だと思うけど、もともと「差」ってあるものだしね。
やっぱり受け取りかたなのかもしれませんね。
個性重視!とか言いながら、昔よりも画一化されてるような気もするし。
よく分からないですね〜。
麻さん、いい記事ですね〜同感ですね。
まあ、私の大学時代は棚に上げておいて…っと(笑)
学生だけでなく、いい大人も、「自分のためだけ」に生きてる人って、多くないですか?というか、そういう人だらけ?つまり、子どものころからそうやって生きてきてるから、染み付いちゃってるのかな。
五体満足で、病気がちでも超貧乏でもないのなら、自己満足に陥ってないで、なんか世の中のためになること少しはやれよ!と言いたくなるような人がいっぱいいるように思えます…
一日一善ならぬ、一人一ボランティア、くらいやって欲しいものですわ。学校の役員するのだって、立派なボランティアだと思いますし。
えへへ…ちょっとエラそうでしたかしら。

ルーファスさん
私もですね、棚に上げないと始まらないんですが。(笑)
なんというか、視線がちょっと遠くの手に届きそうで届かないところにばかり行ってることが多いと思うんです。いろいろこうだったらいいなああだったらいいな、ということがいっぱいあって、今そうじゃないことは「誰かのせい」とかね。
でも、自分の場所に立ち返って改めて見てみると、「悪くないじゃん」と思えることがいくつか出てきて、それが愛おしく思えるようになったり。
そうすると、自然に他の人のことも思えるようになる(こともある。笑)
って、またまたエラそうですけど、たしかに学校の役員というのは立派なボランティアだと思います。(←いきなり現実的)
基本的には絶対評価に賛成です。が
私は小学校しか知りませんが、格差が出ないように評価基準というのがあるのですが、でもその基準で評価するとどーやっても5をつけざるを得なくなっちゃうのです。興味・関心・態度なんて音楽・図工・体育は行事があった学期はクラス全員5です。総合・生活は数字でなく文章で評価、よいことしか書けません。要録も開示するようになったので悪いことは一切書けないし、何の意味があるのかな?と思います。
クラブ活動が始まる4年生を担任した時、「どのクラブが早く帰れるか」(クラブは6時間目なので、塾に遅刻するかもしれないので)という観点で選ぶ子が結構いて、悲しかったです。受験に有利だから児童会に立候補。とか。
駆け抜けるような幼少期の先に何が待っているのでしょうかね。

アユーシャさん
やっぱり現場の先生方にも戸惑いがあるんですよね。
「どのクラブが早く帰れるか」「受験に有利だから児童会に立候補」
んー、なんだか物悲しくすらありますね。
先生方のモチベーションも維持するのは大変そうです。
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